CONSULTANT
コンサルタント
丸本 翔一
経歴
大学を4回留年後、複数社を経て、博報堂アイ・スタジオでインタラクティブプラナー/コピーライター、東急エージェンシーで統合コミュニケーションプランナーとして、国内外大手企業/自治体の多様なマーケティング・コミュニケーションPJに数多く携わり、特にデジタル/ソーシャルメディアを活用した企画立案において多くの実績を残した。その後、株式会社マルニを創業。
得意領域:広告マーケティング、クリエイティブ、プランニング(特にウェブプロダクション→代理店)
マルニは“ 訳ありな人”の味方です。
特に理由もなく、大学を4回留年しました。堕落した生活をしてきた自覚もあったので、このままフリーターかな、なんて考えていたら、いろいろな出会いが重なり、どうしても広告業界でプランニング職(当時はコピーライター職)に就きたくなってしまい、モラトリアムは急遽打ち切りに。
夢や将来に関する展望はあるけれども、少しだけ不利な状況にいる。私のような境遇の人は意外と多いのではないでしょうか。手前味噌になってしまいますが、弱者的ポジションに陥った人ほど失うものもないので、死にもの狂いでがんばれる気がします。
そういった“ 訳ありな人”が、逆境を乗り越え、マーケターやプランナー、クリエイターとして成長していく手助けをしたいと考え、マルニを創業しました。あ、でも、無気力なだけの人はあんまり好きじゃないですよ。少年マンガのような熱い想いが大事です!
実体験ベースのアドバイスを。
私ごときが口にするのはおこがましいのですが、プランニング系職種にはキャリアを積み上げるうえで2つの段階があると思っています。
1段階目はデジタルでも、アクティベーションでも、PRでも、なんでもよいのですが、いくつかの専門性を磨き上げていく期間。2段階目はそれらを他のスキルと統合していく期間。振り返ってみると、どちらの段階でもコツのようなものがありました。求職者様がどちらの段階にいるのかに合わせて、実体験ベースのアドバイスをさせていただきたいです。
私の場合、留年した4年間が生んでしまった同世代との致命的な経験の差をどうひっくり返すのか、試行錯誤を重ねてきました。今だからこそ、あのときの選択は正しかった!という確信や、もっとこうすればよかった!という後悔を、客観的に話せると思います。
よい転職アドバイスをするために続けていること。
世の中には数多くの転職エージェントがいます。そんな中で、求職者様に価値を提供し続けていくためには、専門領域において現場感を失わないことが重要だと考えています。
そんなわけで、プランニングの仕事は続けています。おそらく求職者様と同じように、ダメ出しを食らった企画を途方に暮れながら考え直したり、ローンチした企画の反響をX(旧Twitter)で延々と調べたり、生みの苦しみ/楽しみを存分に味わっています。
最低でも年に1つは世の中にインパクトある企画を生み出したいと考えているのですが、そのあたりの成果はお会いした際にご報告させてください。
2024年に手がけた仕事の話。
「副知事 島耕作」(佐賀県)や「天下糖一戦」(JAグループ北海道×新日本プロレス)あたりが印象深いです。
北は北海道から南は佐賀まで、地域の魅力を発信したり、課題を解決する仕事が増えています。
逆にTHE広告が減っているのでどなたかご相談お待ちしております。